「至誠明朗」の校訓を体し、知・徳・体の調和のとれた創造的・人間性豊かな実践力のある地域社会人の育成を図る。
昭和18年5月1日、財団法人関工業学校開校。 このときの校章は「関工」という文字だけのものであった。 昭和22年4月1日、中学校を併設。 その校章は現在の校章の「高」の部分を「中」としたものと似ている。 昭和23年4月1日、新制高等学校発足。本校も岐阜県関工業高等学校と改称。 校章も変更され、現在のものとなった。高等学校の「高」の下に蔦をあしらったもの。 蔦は、あらゆる所に生え、強靱な粘り強い植物である。 「粘り強く学習し、生きよう」という気風をここに象徴しようとしたわけである。